ほりおの歴史

 初代堀尾四三二は左官を営む桐生屋の二男に生まれ、のちに漆塗り職人に携わり春慶塗りや寺院や仏壇などを手掛けることとなった。本格的に仏壇業を始めた時に作った仏壇の修理洗濯用の桶には『明治42年』と記されている。また、寺院修復へ出張の際、道具を包んでいったと思われる風呂敷には「桐生屋」と「き」の字が刺繍されていた。

 二代目俊三は仏壇の木地造りを学ぶため東京で建具師と指物師の修業をし、親子での仏壇造りが始まった。

 

 

  三代目雅紀は名古屋にて金箔押を学び現在は経営に携わっている。また、二男宗弘が木地師として俊三の後継者となり、塗り師や箔押師など9人の技術者と共に現在のほりおを担っています。